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▼重い月さん:
昨日、いろいろと考えてから、投稿したつもりでしたが、送信してから、
「あれ、新聞だって情報だし」と、文章を作品と情報、みたいにすぱっと二分する
ように書いてしまったなと、もやもやしていました。
名文、悪文という視点からの作品や情報の捕らえ方、なるほどと思いました。
村松先生のおっしゃる、「ネットには編集者がいない」「亜流は亜流」という点にも
つながりますね。
今までも、投稿のたびに、自分の中で考えていることがうまく表現できなくて、
もどかしかったのですが、重い月さんの、理路整然とまとめられたコメントを読んで、
このテーマのことを、すっきりとわかりやすく整理していただいたような気分です。
重い月さんのコメントに対して、もっときちんとコメントしたいのですが、
うまく表現できません。つくづく、自分の考えを文章で表現するというのは、
難しいものです。
ところで、最近、Twitterが脚光を浴びています。
『Twitter革命』(神田敏晶著:ソフトバンク新書)
の中からTwitterの魅力をいくつか挙げると、
・140文字の字数制限
・情報のリアルタイム性
・伝播力、伝播の速さ
・引用、転載のしやすさ
・メールを超えるコミュニケーション
などがあり、1つ目の字数制限に関しては、
「(短歌や盆栽、原稿用紙など)制約の範疇にキレイに納めることに様式美を感じる
(日本人の)DNAが、ツイッターへの書き込み意欲を刺激しているのではないか」
とあります。※()内の言葉は私が前後の文から補足しています。
携帯電話のメール機能の出現で、若者が以前より「文」を書くことにつながった、
という見方があるようですが、それが、Twitterのようなものの出現で進化して、
文を簡潔に書く、要点をしぼって書くといった、表現力に目覚めるきっかけに
なればと思います。
(そこから読書に目を向ける、ということにはならないかもしれませんが)
一方、引用、転載のしやすさを考えると、有用性、信用性、著作権のあるなしにかかわらず、
ありとあらゆる情報、著作、音楽、画像、映像などが、今まで以上に、ネットの上を
駆け巡ることでしょう。
(ただし、Twitterは、アカウントが必ず添えられ、まったくの匿名性ではないので、
極端な使われ方や、信用性のない情報などは、自然と淘汰されると、著者は
おっしゃっていますが。)
私も、この著書を読む少し前から、Twitterをはじめましたが、本当に、情報の
飛び込んでくるスピードの速さにはびっくりしますし、その量の調節の仕方、
収集先の選び方も自分次第でカスタマイズできるというところにも魅力を
感じ出しています。
ただ、それなりに本を読み、名文と悪文の見分けがある程度わかる人が使うのはともかく、
中高校生がTwitterやメールの中だけで「文」を知り、読み書きしていくと
どうなってしまうのか、という危機感はありますが。
とはいえ、明治〜大正〜昭和を生きて来られた方からすれば、私たちが今使っている
言葉や文章の書き方も、およそ褒められたものじゃないと感じられるかもしれません。
結局、話し言葉も書き言葉も、どのような形で今後残っていくかは、私たちひとりひとりの
言葉との関わり方次第なのでしょうね。
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