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華さま、大切なことを教えてくださってありがとうございます。
>祖母は絵も好きで美術館にもよく出かけていきますが、絵画やら音楽やら小説やら有名なものは知識として一通り知っていないと恥ずかしいとよく子供のころに言われました。
素敵なお祖母様ですね。学生のころ、とても趣味のよい友人がいて、小説はもちろん、絵も音楽も芝居もひととおりのものは観ていて、高価ではないけれど、いつも仕立てのいいお洋服を着ていたことを思い出しました。
向田邦子さんあたりの世代の方のエッセイを読むと、ご両親に、そのような躾を受けたことがそこはかとなく感じられる文章が出てきたりします。
記憶がおぼろなのですが、たとえば、
>子供のころ、母親に連れられてよく映画館に行った。
>母が私に見せたのは、白黒のヨーロッパ映画(たぶん「制服の処女」とか?)が主だった。母は私に見せるためではなく、自分が見たかっただけなのかもしれない。映画の内容は五歳の私にはさっぱりわからなかったが、ただ、丹念に画面を追う母の白い横顔が美しかったのを覚えている……
そんな一文をどなたかのエッセイで呼んだ覚えがあります。
戦前にこういう暮らしができた方というのは、おそらく東京の山の手育ちで、そこそこ裕福な家庭の方であったと思います。この一文を読んだとき、一瞬、私は暗い映画館の中にいて、隣に座る「母」の横顔が、スクリーンの明かりに照らされて白く光るのを「見ました」。
本(文章)ってすごい……と、またその話に戻ってしまうのですけれど。たぶん、この一文を今だに覚えているのは、自分が、教養というものを授けてくれる「母」をシンボライズとして「見る」ことができたこと、また、それを伝える文章の力に打たれたこと、そして、意味などわからなくとも子供のうちからよいものをどんどん見せていくと、記憶は何かの結晶のようにその人の身内に残り、文章で書きあらわす、あるいは何かの作品を作る、あるいは立ち居振る舞いににじみ出るといった形でいつか結実する――そうしたことが込められている一文であったからだと思います。
お金持ちの方、ハリウッド映画なんか見ていないで、バレエの公演でも何でも観に行ってください! と、声を新たにしてしまいます(笑)。ほんと、S席2万円とかたいそうな値段ですから。でも、行くと、確かに、集まっているのはバレエやってます(知人でなくても、体型と歩き方でわかる)という感じの人ばかりです。
大人が作った一流のものというのは、映画でも小説でも舞台でも、わかりやすくはないです。でも「見栄」(知っていないと恥ずかしい)は大切です。無理やりでも観ていると、あるいは音楽なら聴いていると、いつか、自分の身内に染みていきます。
本も、たとえば、「意味などわからなくても岩波文庫の青帯はぜんぶ読む。でないとカッコ悪い」といったささいなきっかけがないと、なかなか読み始められるものではないのかもしれません。
今は、「知らないとカッコ悪いもの」の基準が、何だか、「知らなくても実はどうでもよいもの」に移ってしまっている気がします。どうでもいいものをいかに付加価値を見せて売るかが「商売」に……。
しかし、大衆は馬鹿ではないです。あらゆるものが売れなくなっているのは、「エスキモーに氷を売る」ような真似をし続けた、製作者側への罰です。
長くなってすみません。読んでくださってありがとうございました。
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