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村松さんこんにちは。いつもご活躍を拝見しています。
自分もネットで無料で小説を公開している人種のひとりです。
ネットで無料公開という点については、素人の分際でお金を取るなんてとんでもない、無料で当然、発表できる場があるだけで嬉しい、という気持ちがありました。一生懸命書いたものでもそれは個人的な思い入れの問題なので、客観的にお金を貰えるような内容なのかどうかは別の話。無料であれば気が楽です(無責任の始まりでもありますが)
今は私も紙媒体で出すことがあるので多少なりとも収入を得ていますが、アマチュアでもお金を頂くとなると肩に力が入ります。ただこのあたりの意識は人によりけりで、ネットで公開するそばから「作家でござい」みたいにいい気分になって書いている人も結構いるような気がします(笑)ただ、書く楽しみを個人がそれなりに感じられるという点ではネットは有用だと思っています。
人がお金を払っても手に入れたいものというのは、「自分にとって価値があると感じるもの」ですよね。でもそれは意外と芯のないもので、「本当に必要なもの」「本当に欲しいもの」ですらなかったりします。例を挙げれば村上○樹が好きだから買うのではなく、話題になっているから、ベストセラーだから、有名だから、読んでいないと恥ずかしいから買う…みたいな、いわゆる流行のブランドバッグを買うような感覚もあるのではと(村上○樹はどうも性に合わないので読みませんが売れる理由はあるのでしょう)
先頃、人気漫画家の手がけた表紙で太宰の「人間失格」がバカ売れしたようで、個人的には漫画やラノベばかり読んでたような人が純文学に触れる機会になったのではと肯定的なんですが、それを機に他の太宰作品や作家の本を読んでみようという人がどれくらいいたかはわかりません(笑)
それにしても踊らされすぎじゃないでしょうか。多くの人は、価値観を自分以外のものに左右されすぎていると感じます。
ですから、私にとってはやはり「売れているもの=良い作品」ではありません。売れるものは、当然質の良いものもありますが、キャッチーだったり戦略的に成功しただけのものも大いに含まれていると思うので。
「文芸」は文字通り芸術のひとつだと思います。絵画やデザイナーの一点ものと同じようなものと考えていますが、複製できるので本屋では他の本と同価格で並べることができる。読み手にしてみればありがたい限りなのですが、流動的な価値観の中に生きている人や価値=価格な人にはその価値がわかり辛いのかもしれません。その中で、無料は逆に無料という価値があるのでしょうね。
周囲にも残念ながらラノベ好きが蔓延していて、文学の話ができる友達は限られています。でも仕方がないのかなぁとも思います。仕事でみんな疲れていて難しい本は読めないとか読みたくないとか(笑)でも純文学の好きな人種もゼロにはなりませんよね。
自分で書いていてナンですが、ネットで無料公開されているものはやはり素人の趣味の域を抜け出せておらず、素晴らしい作品があったとして出逢うのが奇跡です。そして良い作品なら尚更ネットではなく紙で読みたい。こういう人間もいなくはならないので、村松さんの仰るように、ネットや出版業界は新たな局面を迎えていくんじゃないかなぁと思います。
ネットは創作を発表できる場と書き続けるきっかけをくれましたが、ネットは所詮はツールだと思います。便利なものなら上手に利用したほうがいいに決まってますが、振り回されるぐらいなら近付かないほうがいいくらい。なくたって別に困らないってわかっているんです、今までずっとなかったんだから(笑)でも買い物ひとつにしろ、確実に生活に食い込んでしまっているなぁと感じる日々です。
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