[プロ編集者による] 文章上達<秘伝>スクール特別企画 「ネットと無料」ニュース
 
このサイトは、メルマガ『プロ編集者による 文章上達<秘伝>スクール』に寄せられた反響がとても多かったことから企画されました。
ぜひとも、さらに多くの方々からご意見をいただきたいと考えています。
専用の掲示板を設けましたので、皆様の意見を聞かせてください。
反響を呼んだ 「ネットと無料」のQ&A!
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・ ・
┃ [プロ編集者による] 文章上達<秘伝>スクール
┃ http://www.hiden.jp/
┃
┃ 通算253号 「ネットと無料」
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・ ・

             〜中略〜

【今回のQ&A】

ここ数号、一連の話です。
いつもと違って一人語りに近いです。
今、表現者の時代認識は、小説であれ、美術であれ、音楽であれ、共通のとこ
ろがあります。
自分のスタイルを崩さずにどうやって生き延びようか、とみんな模索していま
す。
遠い世界の話と思わずに、自分も一表現者として、どう感じるか、ちょっと立
ち止まって考えてください。


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「ネットと無料」




●質問●

村松先生。こんにちは。
いつもメルマガを興味深く拝見しています。

前号、「パソコンの前に座ったまま、全てを無料で手に入れようとする人が多
い」という意見について、私もいろいろ思うことがあり、ふと書かせて頂きま
した。(質問とはちょっと違うかもしれませんが)

私もネットでちょこちょこ書き出して10年近くなりますが、ネットの「無料」
「手軽」は、一方で、「コンテンツ(=人が労力をかけて創り出したもの)」
に対する価値観をも変えてしまったような気がします。

他の人から見たらどうでもいいような日常のツブヤキと、誰かが全存在をかけ
て創り出したもの──たとえそれが無名のアマチュアによるものであっても─
─との価値が、ゴッチャになっている。

たとえば、ブログ構築のマニュアルにしても、以前なら、1000円や2000円を払
って手に入れていたノウハウが今では無料でいくらでも手に入るから、それに
引きずられるようにして、書店に並んでいるものの価値も下がるし、著者に対
しても、「この程度の情報なら幾らでもネットでタダで手に入る」との評価に
繋がっていく……
そんな印象があります。

たとえ、それが、プロの執筆者や出版社によって、何度も何度も推敲を繰り返
された、一般のサイトオーナーには到底手の及ばないような質の高いものであ
っても、人はその労力を見ようとしないし、「本代」を払うのも損、それより、
多少、質の劣るものでも、タダで手に入れられるものの方がいい、という考え
方です。

それは、小説やエッセー、コラムの類でも、似たような部分があるのではない
かと思います。

私も、ネットの活動を通じて、何百という悩み相談を寄せられた経験がありま
すが、私も、周りの友人も、悩みが生じたら、まず本屋に走り、図書館に入り
浸り、自分の探し求める答えが書かれた本を必死に探し求めました。

そして、そこに書かれた一行のためなら、何千円という本代も惜しまなかった。

ビンボな学生には千円でも痛い出費です、でも、自腹を切ってでも素晴らしい
本に巡り会い、その為にお小遣いをはたくことが悦びだったのです。

でも、今は、何かあれば、ネットの無料掲示板で聞く。
似たような悩みを抱えているサイトのオーナーに相談のメールを書く。
それで耳障りの良い答えが返ってくれば、満足する。

「私の苦しみを分かって下さい」

早い話、それに尽きるのですが、何でもタダで手に入れたがる人は、その為に、
相手が時間を割き、言葉を選び、後々まで気に懸けている、その労力を見よう
としない。

そして、その労力の見返りとして、幾らかを請求すれば、「高い」「損した」
と思う。

そういうものに感じます。

もちろん、そういうケースが全てではないけれど、情報も、人の好意も、何も
かもタダで済まそうとする人が多いのは事実だと思います。

前にも、ある方が仰っていたのですが、
「ネットには独特の『無料観』がある」、その通りだと思います。

こんなことを書いている私も、Youtubeに違法にアップされた動画を見て喜ん
でいる、ダウンロードもする、「制作者さん、ごめんね」心の中で手を合わせ
ながらも、頂戴してしまう。

自分でも複雑です。

でも、作品を提供されている側はもっと複雑でしょう。

無料だから、読むのか。

じゃ、私が全存在をかけて作った作品は、「抹茶ケーキが美味しかった♪」と
いうツブヤキと同程度なのか。

「あんたの作ったものは、お金を払ってまで見る価値ないよ」と言いたいのか。

それとも、自腹を切るのが惜しいという人が圧倒多数なのか……。

私でも無力感に押しつぶされます。搾取されているような気持ちにさえなるで
しょう。

だって、自分のクリエイターとしての存在価値をどこに見出せばいいのか、分
からないんですもの。

「ネットの功罪」っていろいろありますけれど、あまりの手軽さ、そして無料
ゆえに、その裏側にある労力、対価、権利、何より、それだけのものを自分自
身で手に入れる苦労、そういうものも水に溶かしつつあるような気がします。

私も、これを読んでおられる方々に聞いてみたいです。

ネットにあるものは何でもタダだし、その為にはたとえビタ一文でも相手の懐
に入るのは惜しい、「このプロジェクトを評価して下さる方は、運営資金とし
て、以下のAmazonリンクからお買い物して頂ければ嬉しいです」というアフィ
リエイト・リンクさえ踏む気にはならないし、むしろ、ガメツイとさえ思うの
か、と。

質問とも感想ともつかない内容で、ごめんなさい。


●答●

疑問を率直な形で出してくださってありがとうございます。
こういう声があると話がしやすいです。

これについては、僕にも答らしい答はないです。
そういう時代だよなー、という思いがあって、それに対して自分はどうしてい
けばいいのだろう、と考えながら模索するばかりです。
時代のいろいろなことにつながっていると思うので、今、考えていることを書
いてみましょう。

まず前提として、無料で公開している以上、読者に対して恩着せがましいこと
は言えないと思うのです(言いたくなることがないわけではありませんが)。
「だったら最初から有料にしろ」とか、「本にしろ」とか、いう声が聞こえて
きそうです。

では、どうして有料にしないかといえば、読者が限られてしまうからです。
成立しないくらいに少なくなってしまうかもしれません。
文章を書くのは、対価を得たいということもありますが、自分の考えを広く知
らしめたい、世に問いたいという目的もあるのです。
有料にすれば、あきらかに後者の目的はかなわなくなってしまいます。

魅力的な前置きを書いて置いて、「あとは有料」とか、そういうやり方が器用
にできればいいのですが、そういうことに心を使うこと自体が書くというモチ
ベーションに関わってきます。

最初から、ビジネスやお金を目的に組み立てたものとは、やはり何か構造が違
うのでしょう。
そういうのは、もう仕方ないことです。

「あなたも楽して大金持ち」的な安易なサクセス系のサイトが流行っていると
むっとします。
内容は玉石混淆だと思いますが、大部分が石ころです。煽りだけうまくて、内
容のないものも多いようです。

僕が欲望につけこむとすれば、「あなたも小説家になれる♪」といえばいいの
です。
そうすれば、小説家になって一攫千金を狙う人が自己投資としてささやかにお
金を払ってくれるかもしれません。

しかし、それは言いたくないのです。
そういうわがままを言っているから儲からない。

先日、横浜黄金町で、「著者が売る本屋さん」という催しの2回目に参加して
来ました。
その主催者の阿川大樹さんは、ミステリ作家です。
阿川さんは、作家デビューすると、すぐに日本推理作家協会に入り、一年ほど
は、パーティなどに欠かさず出席し、編集者に名刺を配って歩いたそうです。
社会経験が豊かだから、そういう知恵と実行力があるのです。
「小説を書いているだけで、編集者が頭を下げて書いてくださいと言ってくる
世界なんかないんだよ」
「推理作家協会は、会員が800人くらい(記憶あやふや)。でも、小説家専業
で食べている人は、その半分くらい」
ということです。
ミステリというわりと商売になりやすいエンターテイメントの領域でそんな人
数です(もちろん非協会員もいるでしょうが)。
だから、ライトノベルまで含めて、小説家で食える人は、2,000人前後ではな
いのかと思います。
この人数は減ることはあっても増えることはありません。
亡くなったり、売れなくなって廃業したりする人と新しくデビューする人が入
れ替わります。

デビューはゴールではなくて、小説家としてのスタートに過ぎないわけです。
しかも、今、小説を読もうという人は、とりあえずハリー・ポッターと村上春
樹を買うわけです。
携帯料金や ADSL料金を引き落としで支払って、次に村上春樹を買うと、あと
は新刊を買う予算はない。それで残りは、ブックオフで105円で買うと。
そうすると、中間的な作家にはあまり生きていく道がありません。
まだ細々とした道がありますが、これはどんどん細くなって行きます。
これがいわゆる「一人勝ち」の状況です。

この状況は、経済や社会の圧倒的な方向性であって、個人の力ではあらがいよ
うがありません。
ただ、そういう傾向がもっと強まったときに、「なんかコレつまらないな」と
思った人が何かのアクションを起こす。そういうことがまた別の流れを作り出
すときがあるでしょう。
何かそういう動きを作り出す側に僕は回りたいと思っています。

欲でつったり、脅したり(ダイエット商品の宣伝には太った人は仲間外れにな
りますよ、という無言の脅しが入っています)して商品を買わせるという流れ
には荷担したくないのです。
しかし、どんどんそういうことにだけ反応する人が増えています。

そういう状況を見ていると、現状に何の疑問も批判も抱かずに、自分の「作家
になりたい」思いだけに囚われている現状肯定的な人が作家になったところで、
大勢に影響ありません。
そういう視野の幅しか持っていない人は、作家になれないし、なっても生き残
れないだろうな、と感じるのです。
「あなたも小説家になれる♪」どころではないのです。現役の力のある中堅作
家が自分の作品を出してもらえなくなっているという事態が起きています。

そういう状況論を書いていくとキリがないのですが、もう一つだけ。

上記のような流れを、僕も他人事として批判できません。別の領域ではその中
にいるのです。

100円ショップで物を買い、ブックオフで本を買い、TSUTAYAでDVDを借ります。
これは物を作る人にお金を流しているとは言えません。
100円ショップで今は一見すごく立派なハサミが買えます。
それが切れ味がいまいちで、すぐに切れなくなり、蝶つがいが固くなってしま
ったりしても、専門家でなければとりあえずの役に立ちます。

人はすごく専門的な数千円のハサミを買うか、100円のハサミを買うかの二極
に分かれるでしょう。
そうすると、300円、500円のハサミを作っていた人の仕事はなくなってしまい
ます。
仕事がなくなると同時に、その人が持っていた技術やマインドも消えていきま
す。

いま、そういうことがたくさん起きています。
まえにも書きましたが、ITとは、オートメーション化、合理化なのです。
発達すればするほど、人がいらなくなります。

それが昨年は派遣切りという形で顕著に現れました。
それと同じようなことが表現の現場でも起きています。
雑誌の原稿料は、ここ30年以上、上がっていなかったのですが、ここに来て、
2割、3割と下がって来ました。

中堅、ベテランのライターは「暮らせないよ」と悲鳴を上げています。
新人はどんなに安くても、とにかく仕事があればいい、と新規参入してきます。
新人の原稿はおおむね、経験のあるライターの原稿よりだいぶ質が落ちますが、
発注側はとにかく安いのが第一義で、質に対してお金を支払うという姿勢は見
せません。
中堅を安く使えれば御の字で、そうでなければ、新人の原稿を使います。

編集者が質を見る眼がたいへん甘くなっているのです。
編集者にいいものを作ろうという心意気が少なくなったり、本や雑誌というも
のに対する思い入れが希薄になって、単なるビジネスになってきたというのが
一つの理由です。

しかし、それ以上に、読者の質を見る眼がどんどんゆるくなってきています。
ものすごく手の込んだ料理を作っても、レトルトの料理を出しても同じように
無感動に食べるだけ。
場合によっては、レトルトのほうが、舌に馴染んでいるので、人気だったりし
ます。

実際、イギリスで一流シェフが、ジャンクフード漬けの子どもたちの給食改革
に取り組んだことがあります。子どもたちは最初、シェフの味が評価できず、
ジャンクな給食のほうがいい、と言ったそうです。
(『ジェイミー・オリバーの給食革命!』)

アメリカやイギリスでは、給食にハンバーガーが出るのです。日本の子どもも
喜びそうですが、育ち盛りは栄養が大切。喜べばいいというものではありませ
ん。

心の栄養も同じです。
精神のジャンクフードばかりでは、やがて病気になります。

今や、誰でも日記や小説を書いてネット上で発表することができます。
音楽もデザインも参加することがずっと簡単になりました。
僕の世代の人は、そういう時代は表現にとっていい時代だろう、と思っていま
した。
多様な表現が生まれるだろうと思っていたのです。

しかし、イージーになった結果生まれたのは大量のヘタクソな亜流です。
世の中、みんな亜流になったので、最近では亜流という表現は使われなくなり
ました。
ライトノベルは、「亜流オーケー」「亜流歓迎」という表現形式です。

それまでは、参入ハードルが高いが故に、表現者は選ばれたし、苦労したし、
考えたし、歴史や先行者から学びリスペクトしたのです。今はハードルが低く
なった分、どやどやどやといろんな人が簡単に入ってきました。

その人たちが困るのは、優れた小説への憧れが感じられないことです。
何かの小説を読んで、がつんと来た、敵わない、打ちのめされた、という話を
ほとんど聞きません。
そんなことより、自分が小説家になりたい。
小説には憧れないで、自分が小説家になることに憧れているのです。

たとえば、俳句の読者は、俳句を詠む人でもあります。
そうすると、実作者として、より深く俳句に感じるところがあり、自分の参考
にもなるのです。
バンドを自分でやってみると、ローリングストーンズがいかにすごいバンドか
わかるのです。

ところが今の小説家志望者は、本を読まないのです。
どうも読んでいるとは思えない。
読んでいても、ライトノベル数十冊です。

昔の作家は蔵書数千冊という人が少なくありません。
読書と体験は、小説家の仕入れです。

しかし、読書はしない。
人と会うのは嫌い。
友だちいない。
だから、小説を書くという人がわらわらといるのです。

だから、小説に対して評価能力がないどころか、読んだことのない作家志望の
人が今の状況を作っているのです。

小説家志望の人に、もっといろいろな本読まないとダメだよ、というところか
ら話をしないといけないというのは、もう「よくわかんなーい」という状況で
す。

小説家志望であれば、まず自分の価値観を確立してください。
世の中の流れに流されるのではなくて、自分自身で価値を見つけ出してくださ
い。

必ずしも、僕の本を買えとはいいません。何にお金を使うか、どう行動するか、
ということについて、真剣に考えてください。テレビや周囲に流されずに、自
分の価値を創造するように使ってください。
そういう創造の積み重ねが「書く」ことです。

携帯電話では、何の疑問や意識を抱くこともなく、毎月、何千円も引き落とさ
れていませんか?
ユニクロなどの安価なブランドの服を衝動買いして、同じような服であふれか
えっていませんか?
ベストセラーの本ばかり本棚に並んでいませんか?
パソコンモニターの前に座ったまま、現実の人と接するのがおっくうになって
いませんか?

それは安易に流れているのです。

村上春樹『1Q84』は、上下合わせて200万部以上売れたようです。
1冊がそれだけ売れるということは、印刷コストも下がるし、広告やパブリシ
ティも効率よく打てるし、資本効率がいいのです。
しかし、文化、というか、僕たちを支える無形のもの、のためには、1万部の
本が200種類売れたほうがいいのです。たった一つの光源から、強烈な光が出
て人々が踊っている光景より、もっと柔らかな光源が無数にあって、人々がそ
れに包まれて自分にあった光を探しているほうが、心が疲れないのです。
もちろん、多様な本が売れたほうが、いろいろな人が仕事に関わり、お金が回
ります。

村上春樹『1Q84』が悪い本だと言っているのではありません。

ただ惰性や流行に流されず、自分の感覚を使っていただきたいのです。
1日5分だけでいいから意識のアンテナの感度を上げていただきたいのです。
そこから世界が変わっていきます。

             〜後略〜

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