↑目次に戻る

松×松 アブない?公開往復書簡

プリズナーNO.6   村松恒平


歯痛の話は、僕にもいろいろあって、それを書こうかと思っていたんだけれども、その前に管理社会ということを巡って、『プリズナーNO.6』の話を書きたかったのを思い出した。
『プリズナーNO.6』は、パトリック・マクグーハンが監督・主演・脚本も書いたイギリスのテレビ・ドラマだ。
これは日本放映が69年というから、僕が中学くらいの放映だが、いつも愉しみにしていた。とても印象深い番組だ。いまだにカルトなファンがついているらしい。
DVDを売っているのを発見してしまった。でも、これを買うほど、僕はマニアックじゃないんだよな。誰かに貸してほしい……。

http:// www.jp.playstation.com/ product/ 22/ 000000006142822.html


パトリック・マクグーハンは、やせ形の知的個性的で渋い二枚目。言語学者ヴィトゲンシュタインの映画を撮るなら、主演はこの人、という風貌である。
『プリズナーNO.6』も全く哲学的なストーリーだった。

上記サイトに書いてあったあらすじ
【ストーリー】
重要な国家機密に関わるひとりの男が何かの理由で辞表を叩きつけ職を離れる。だが、国から旅立とうとする男の部屋に催眠ガスが充満し、男は気を失い、目が覚めたときには見知らぬ"村"にいた。
人々はナンバーで呼ばれ、奇妙な生活を行っている。脱走しようとすると泡状の物体によって捕獲されてしまい、決して"村"から逃げることはできない。
男に付けられたナンバーは"No.6"。自らの自由と、この世界を取り巻く陰謀を暴くためにNo.6の孤独な戦いが始まる・・・。

マクグーハンは、この一つ前のテレビシリーズで、『秘密情報員ジョン・ドレイク』というスパイ物に主演している。だから、この主人公は引退した敏腕スパイに見えないこともない。そういうところも微妙な洒落っ気になっている。
主人公が拉致されていく村は、住人がいて、一見、自由で何の束縛もない。しかし、一種異様な作り物めいた違和感が漂っている。
そして、そこから脱出しようとしても、内と外との境界線も明確ではない。
しかし、本当に境界を超えようとするとき、白い大きな泡か風船のようなものが現れて行く手を阻み、主人公を押し返してしまう。
この「境界の見えない軟禁」というソフィスティケーションが当時斬新でした。
「民主主義につきまとう監獄のイメージ」が企画の発端というから、マクグーハンは、かなり先見的な視線を持っていたと言っていいだろう。

何度か脱出を試みて柔軟だが堅牢な包囲網にはね返されたあと、主人公NO.6は、外に向かうのではなく、中心へ、自分の捕らえられている村の中枢部に入ろうとする。そして、その試みは拒まれることなく、ある程度成功する。
しかし、こちらも抵抗すべき敵の本体は、全く空虚なように手応えがない。

僕が記憶しているのは、NO.1か2の正体が、全能のコンピュータであった、という回だ(NO.2はときどき変わる)。これに対して、NO.6が、紙にある疑問を書いて、そのコンピュータに解かせると、コンピュータは自壊してしまう。その紙には「WHY?」(なぜ?)と書いてあった……! 
わはは。これはもうダサイのか、カッコイイのか、当時、微妙な線であった。しかし、今となっては超カッコイイというしかない。
そして、最終回でNO.1の正体もわかり……、全体として、痛烈に民主主義や、管理社会を皮肉る内容になっている。

まあ、ソフトな管理社会、というもののモデルのようなドラマでした。

イギリス、というのは、こういう変なものを生み出す力がかつてあったよなあ。
……という話は次回にしようと思います。



←前  次→