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松×松 アブない?公開往復書簡

馬のヒヅメ   村松恒平


人間の盾の人のサイトは面白かった。ロケット弾の筒っていうのは、今や使い捨てなんだなあ。なんかコンビニエントな感覚が妙に伝わってくる。

サブカル、オタクがジャンル化したという意味では、昔、地味でカルトっぽいバンドをやっている友人が、「僕たちはインディーズでもなくなってしまいました」と苦笑していた。インディーズ、というのは、「自主レーベル」という意味でしょ。僕らにとっては、ピナコテカとか、そういう「辺境」を意味したんだけど、あるときから、これもなんかジャンルになってしまったようです。
きちんと上昇志向を持ったある種のサウンドだけがインディーズになっちゃったんだね。

先日、僕らの共通の友人の音楽家、某ゆり子さんに会ったら、「私は『アバンギャルド』というレッテルが張られてる」と言っていました。
『アバンギャルド』なら何をやってもいいんだろう、というのは、素人の赤坂見附。やはり『アバンギャルド』風のことを必ずやって見せないといけない。
それは、ポール牧が出てきたら、指パッチンを期待するのと同じほどの圧力がきっとあるのです。

進化論の中には、進化と特殊化、という概念があるそうです。たとえば、馬のヒヅメが硬くなるのは、特殊化。進化の太い幹からは外れて、その一つの枝分かれの中で行われる行き止まりの「進化のようなもの」が特殊化なのです。
つまり、これをあてはめると、カルチャーの運動も、エネルギーのカオスが強烈な熱気を失ったときに、ジャンル化がおき、それ以降は特殊化の道を歩む、とみていいようです。

しかし、特殊化ということは、有用性は高いのです。僕なんか、人間としてちっとも特殊化しないので、安定した仕事がない、といえるかもしれない。職人芸なんていうのは、馬のヒヅメに近いことなんだと思うんだよね。

昨晩、『賞とるマガジン』の原稿を書いたけど、ネットで原稿を書き慣れてしまうと、久々の先割り(割付が先に決まること)は、けっこう窮屈だった。聞かせどころを歌わないうちに終わっちゃうよー、という感じ。
ちょっと工夫しなくては。
テレビに出るコメンテーターや歌手もこういう気分か。



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