松×松 アブない?公開往復書簡 隅田川乱一と『Heaven』 村松恒平 |
隅田川乱一『穴が開いちゃったりして』(石風社)、僕もまだ未入手ですが、書評を朝日新聞に永江朗さんがある種のリスペクトと懐かしさをこめて書いていて、ああそういう系譜(とは言えないほどのもだけれども)になるのか、と思いました。 隅田川さんは、『Heaven』という雑誌の佐内君と山崎春美の兄貴分という感じだっだですね。 僕は『宝島』で神秘主義の特集を頼みました。僕のオカルト好きは彼から手ほどきを受けたものです。 彼はモノを書くのに、とても慎重で、わりと大ざっぱに「ある人はこういうことを言っている」と書くのではなくて、事実を細かく確認し、要所は引用で決めました。 わりと遅筆でしたが、文章にも人柄にも、何か律儀な老学者を思わせるような、高雅で上品なユーモアと味わいがありました。といってもまだその頃、20代だと思いますけどね。 彼は当時、『地球ロマン』というなんともディープなオカルト雑誌に出入りし始めたところでした。知らない人のためにこの雑誌のことを書くと、それだけで一つのコラムになってしまうのです。『ムー』とか、ああいうのと全然違う。もっと奇想天外で、もう本当にお里が知れない。それでいて、すごく知的なのです。どういうソースからこういうネタを拾ってくるのか俗人には想像もつかないような記事ばかりが載っていました。(この件に関してよいリンクはありますか?(笑)>松尾さん) 『地球ロマン』は、そのあと、『迷宮』になり、3号くらいだしたあと潰れて、残党が『decode』というシャレた雑誌を作りかけたけれども、これもたぶん1号くらいしかでなかった模様です。編集長の武田さんは現在八幡書店というこれまたディープな出版社をやっているはずです。 サブカルチャーって、そういう具合に、一人面白い人がいると、芋蔓式に面白い人とずるずるつながっていたりします。 隅田川さんには、無署名の書評を頼んだりもしました。あと、「うんちについての座談会」というのをやって、湯村輝彦さんにイラストを描いてもらって、椎名誠のひんしゅくを買いました(笑)。 松尾さんの言う『マガマガ』というのは、雑誌からの引用を切り貼りして、ひとつの雑誌というか、世界観を作るような遊びっぽい企画で、ちょっと面白かった。 『ダカーポ』という律儀にそういうことをやる雑誌が出てきてしまったので、やめたのだったかな? 何号か連載でそういう実験企画もやりましたね。 隅田川さんは、やせていて線の細い人だな、と思っていましたが、ボブ・マーリィのコンサートに行って足首の骨を折ったと聞いたときにはびっくりしました。「踊ったりはねたりしたのですか?」と聞いたら、「いや、全然普通にしてたんだけどね」と言っていました。 「スーフィの笑い話」を翻訳しているんだ、と当時言っていたのですが、平河出版社から『スーフィの物語』が出たのが、1996年。実現したのは、17.8年経ってからというのは遅筆過ぎますよ、隅田川さん。 僕が『宝島』を辞めてからも、2.3度会いましたが、それっきりになってしまいました。隅田川さんのところは、いつ電話をかけても留守電になっていて、留守電に入れておくと、掛けかえしてくれるのです。そのワンクッションがおっくうであまり電話しなくなりました。しかし、そのヒキコモリックな感覚も、今思うと現代的ですね。 腺ガンという病気で亡くなりました。僕は葬儀も出ていないので、亡くなる前後のことは、松尾さんのほうが詳しいですね。 |