↑目次に戻る

松×松 アブない?公開往復書簡

工作舎をめぐるあやふやな印象とストーカーの元祖   村松恒平


ふうむ、オカルトは民族主義と結びつくから怖いすね。武田さんは、実際にあったときは、自信に満ちていたけど、ユーモアのある人だった。今はかなり、コワモテですね。

『遊』といえば、工作舎。ここで隅田川氏のパートナー、村田恵子さんの訳でライアル・ワトソンの本が何冊かでていましたね。ただ訳者というだけではなく、いろいろ交友があったようです。

山崎春美も、ほんの一時期、工作舎に出入りしていました。彼の住まいも工作舎と同じく渋谷だったので、「パジャマで行って仕事したんですよ」と彼は言っていました。でも、「高橋秀元から、それはやめてくれ、と言われましたよ。『士気に関わる』ですって」と困ったような、あきれたような顔をして苦笑していました。
常識的にいうと、パジャマで行くほうも行くほうですけど、当時の工作舎には、そういう何でもアリな雰囲気がありまして、僕も「へーっ、ダメだったの?」と思いました。

というのは、『遊』の編集者というか、それらしきことをやっていた有象無象と話したことがあります。そのときに、なぜか「原稿をなくしたらどうしますか?」という話になったのです。当時、僕は編集者としては、原稿をなくすのがいちばんかなわんな、と思っていたからで、ちょうど、学者さんの数年がかりの労作をなくしてしまった編集者の話を聞いたばかりだったのだと思います。
今日のようにテキストをメールでやりとりできる、コピーペーストの世の中では考えられないことですが、コピーも取っていないオリジナルの原稿を紛失する、という事態も可能性があったのです。だから、人の原稿を持っている日は酒飲んでても一抹の不安があるんだよね。
それで、(やっと話は戻るけど)、その『遊』から来た男はさ、「なーに、そうしたら、また書いてもらうまでですよ」と軽くいうんです。
そういうのを一種のラジカリズムと勘違いしている節があって、その無神経な観念性がとてもイヤだったですね。
そのあとは、この人たちには、あんまり近づかないようにしようと思いました。
だから、パジャマくらいでどうのこうの言うのかい、と思ったのですがね。

もちろん、工作舎の中にも優秀な人も、ほんとのインテリみたいな人もたくさんいたのでしょうが、僕がたまたま接点を持った感じというのは、そういうぶよぶよとして、実体のつかめない、水ぶくれした観念の集まりみたいなものでした。
だから、松岡正剛という人は、知的でたくさん本を読んでいて、文章もうまい人物だと思いますが、僕はうさんくさーい、という印象を未だにぬぐえないのですよ。そういう自分のできの悪いエピゴーネンみたいなのを集めて、イヤにならなかったというのはね。
でも、世の中ではたいへん高く評価されているようですね。何故なのかな?
ということは松尾さんに聞きましょう。

あと、『HEAVEN』の三人組で、佐内順一郎の話をするならば、彼はその前身の雑誌『ジャム』で、「山口百恵のゴミあさり」をやって一躍有名になったわけだよね。それって、今でいうストーカーのすごい先取りだよね。ハッカーもtrashingというのをやるらしいけどさ。あれは海外に元ネタがあったのだろうか。佐内君の思いつきなのだろうか。



←前  次→