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松×松 アブない?公開往復書簡

松岡正剛と私のKIO名義の雑誌論など   松尾由紀夫


そういえば、私は『宝島』で『マガマガ』という雑誌の引用の織物(とでもいえば意味ありげですが)をやっていたときも、おかしなペンネームで「KIO」と表記していたのでした。短命なコラムニスト? の一時期でしたが、雑誌について多少は詳しいということで、『ウィークエンドスーパー』におかしな記事を書いたり。

いまでは、すでにその『ウィークエンドスーパー』自体も対象になってしまうのですが、『写真時代』を出す前の末井昭の編集で「感じる映画雑誌」というキャッチフレーズなのに、当然のように映画のことは全然載っていなくて、赤瀬川原平や荒木経惟、平岡正明、上杉清文、鈴木いづみたちがレギュラーという誌面。
そこで私は『雑誌の墓碑銘』という連載を書いていました。
タイトル通り、休刊した雑誌について、いかがわしげなウンチクをひとくさりするもので、『黒の手帖』とか『タイフーン』とか『NOW』とか『ボーイズライフ』とかを取り上げる中で、『THE HIGH SCHOOL LIFE』も登場。
これは12ページのタブロイド版の高校生向けの読書新聞で、ちょうど私が高校生だった3年間、毎月、書店で無料配布されていたものです。
この新聞の編集者が松岡正剛で、それはそれは面白い紙面でした。

ちょっと、詳しく紹介してみましょうか。
1面は宇野亜喜良によるイラストレーションと、著名作家による1冊の本の紹介。
石原慎太郎による中原中也の『在りし日の歌』とか、高橋和己による中島敦の『山月記』とか、野坂昭如による正岡子規の『病床六尺』など。
つづく2面3面は、主に高校生活のレポート記事。とはいえ、怪物的な文学少年の手記や、67年10月の羽田のこと、69年1月の東大のこと、あるいは「血まみれの高校生全学連」なんていう記事が多い。
もちろん読書新聞だから、アンチロマンやヌーヴォロマン、ル・クレジオ、カフカ、ランボー、ドストエフスキー、プルースト、ロープシン、吉本隆明、ノーマン・メイラー、ルイス・キャロル、稲垣足穂、その他、現代詩、日本文化史、幾何学、物理、およそ何でもありの大盤振舞、見出しも「現象学は若者の歌となりうるか」「非人称は私を語らせる構造主義」と、活字が踊る。
さらに、異色対談と題して「ここが舞台だここで演れ」別役実と唐十郎、「伝説の午後いつか見た世界」寺山修司と横尾忠則、「暗闇の奥へ遠のく聖地をみつめよ」土方巽と宇野亜喜良、「地を這う飛行機と飛行する蒸気機関車」稲垣足穂と中村宏、などなど。
あるいは、「童子訓」「偏見社会学」「高校株式市場」「シベールの甘言苦言」「観光学点描」「対物レンズ」「美の工学」といったコラム群。
(東大仏文院生がドストエフスキーを知らないことも、さして驚くにはあたらないとされる現在、こんな紙面を云々しても、とは思いますけど)

まあ、こんな紹介に添えて私は
「(たぶん)内省的な青年によって(あるいは)隠された感情の複合にも由来したであろう、シャーレの中から性の因子をピンセットで丁寧に撮み除いて編集が行使されたジャーナリズムの痕跡」
とかなんとか書いて、コラムをでっち上げたわけですね。
そして、この青年編集者が、後に『遊』を創刊したこともからかったりして。

ああ、やっと『遊』だ。

『遊』というのは、この『THE HIGH SCHOOL LIFE』の最終号でほのめかされていた『ニューマガジン』が、紆余曲折の果てに創刊された雑誌で、これまた、それはそれは面白い誌面でした。
でも、71年9月に創刊された『遊』というのは、山崎春美が出入りしていた頃(第三期)の『遊』とは、かなり違っていて、その辺りのことはそれこそ松岡正剛の本とかその他(どこかに、いいサイトもあるかもしれない)にあたってもらえばいいかな。

ところで、『ウィークエンドスーパー』のこのコラムを読んで、ウチでも雑誌について書きなさいと呼んでくれたのが、『噂の真相』の岡留安則。
余談ですが、村松氏の部屋で、何かのパーティ? のおり、霜田恵美子に「どんな雑誌に原稿書いてんの?」と聞かれて「『宝島』『ウィークエンドスーパー』『噂の真相』」と答えたら「げっ、クラーい!」と笑われました。コラムニスト「KIO」というのは、まあそんなモンだったわけです。

ここで、その『噂の真相』に、山崎春美が出入りしていた頃の『遊』について書いたコラムの全文を転載しましょう。

「好き嫌いでは判断したくないので、できるだけそういう言い方はしないのだけれど、『遊』が好きかって聞かれれば、やっぱり嫌いだ。
これだけ毀誉褒貶のある雑誌も珍しいというのが『遊』で、松岡正剛への印象もそんなふうだ。
それでも創刊号からの、そして『THE HIGH SCHOOL LIFE』の読者でもあった僕は、編集者である松岡が並外れた才能であることを知っている。加えて、言語的才能であることも。ただし、かなり奇矯な人格であろうとは思う。無人島にいるのではないから、噂だって耳にはいる。あまり役には立たないけれど。そのうえで、悪意も他意もなく、むしろ好意的ですらあることは居心地の悪いことだ。では、何故『遊』が嫌いか。
存在にト書きがたくさん書きこまれた劇団に他ならない株式会社である工作舎が理由あって学校になってしまい、そこの学生たちの(ペンだこのある)手によって編まれる機関誌が最近の『遊』であり、そのスカスカな言葉づかいは松岡の提示するキー概念にボケやユガミやズレやヒズミやキシミやらを生じさせることによって補完することに奉仕するばかりで、雑誌としては失速してゆくばかりなのだ。
編集者と読者が増えたせいで、自閉化してゆく雑誌であるとでも言えばよいだろうか。
多く語られる『遊』への批判が、難解であるとか、よく分からないという感想に終始してしまい、そのあげく宗教だと断じてしまうというのは単にだらしがないだけでなく、ツケこむスキを堂々とさらけだしていて、困ったものだ。時代がはらむ観念を自明の理として行使する権利は誰にでもあるのだから、どんどん勝手にデタラメに扱うことに慣れておかないと、それこそ折伏されてしまうことになりかねない。
批判といえばもうひとつ。学校ほど権力のしくみが明白な場所はないし、権力というのは余分な人間が必要でなくなる暴力のことだから、その辺の機微を突くことで自滅に追い込んでしまう批判こそが効果的ではあるまいか。さらに言えば、学校という場所は理念がどうあれ現実と直面することがないことを考えあわせて、その怠惰さを指摘してみるのも一興だろう。
ただし、もし病人を相手にしているのであれば、いかなる批判であろうと一切は無効となるしかない。学校がいつのまにか病院になってしまっているということは、現実では、そう珍しいことではないのだし。そういう場合には、社会復帰するまでを暖かく見守ってあげる他はない。
ともあれ、ひとつのイデアがいろいろな動詞的展開を図るにしてもbbbあくまでひとつのイデアのみが支配的な言語圏というものは居心地が悪いというのが、健康な学生なり社会人の(靴の大きさやお尻の大きさ分の)立場なり座り心地なのだ。
 理解ある人々からは嫌われ、誤解する人々ばかりが好きであるという雑誌のあり方は、読者に羞恥心を与えることによって反面教師である。
 やはり、教師という言葉が登場してしまったというのは、『遊』にとっても僕にとっても、いやはや不幸な事態であるコトだ。」

うーん、松岡正剛。
http:// www.isis.ne.jp/
ホントに学校つくったりして、教師になっちゃいましたから、もう、ねえ。
ただ、彼は『THE HIGH SCHOOL LIFE』のコラム群を、どれも自分で書いていたように思われますし、創刊時の『遊』にもいくつものペンネーム? を使ってさまざまな原稿を書いていました。
一番ウケるのは、第三期の『遊』で最初は後藤繁雄が書いていた「準事態・次事態」という巻頭コラムを、途中から北村孝四郎という何ともハイパーな十代の鬼才が書くようになるんですが、これもどうやら松岡正剛ではないかという辺りで。
いま、松岡正剛の千夜千冊という、
http:// www.isis.ne.jp/ mnn/ senya/ senya.html
一人で書いているならコレは凄いコトだとも評されている読み物がありますが、どうなんだろうこれは。ココに至って、コレはいろんな人が書いて松岡正剛を名乗っているように思われるんですが、さてね。

ところで、『JAM』で佐内たちのやった「山口百恵のゴミ」ですが、当時は何でもアリみたいなところがありましたでしょう。
つまり、雑誌という器に何でも盛ってやろうというか、もっと変、珍、奇はないのかというような意欲でしょうか。
村松氏がやって椎名誠に叱られたという「若手ウンコロジスト3人の白熱の討論」というのも、その流れですね。
『JAM』『HEAVEN』の流れからは、慶應大学ジャーナリズム研究会発行の『突然変異』という雑誌が、変態だ畸形だロリコンだ死だ天皇だらりりだと悪ふざけして、やっぱり椎名誠に(朝日新聞で)叱られてました。その主幹だったのが、青山正明でしたけど、彼の反論を椎名は無視してて、良くない態度でしたね。
でも、さらに『JAM』の前身ともいえる、日芸で佐内たちが作っていた『BEE−BEE』という雑誌を「第1回全日本ウスラバカミニコミ大賞」(不正確)とかで表彰したのはその椎名の『本の雑誌』で、隅田川の「オカルティズムとアフリカン挌闘技と昨年度のマット界」が転載されてましたっけ。
いや、どこに本質があるのかなんて、わかりゃしませんよ。



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