松×松 アブない?公開往復書簡 寺山修司と高一コース 松尾由紀夫 |
むかし話ばかりで申し訳ないけれど、もうしばらくそんな話題がつづきます。 『THE HIGH SCHOOL LIFE』は取次の東販(現・トーハン)がスポンサーになって編集プロダクション? のMACが制作していたようですね。 そういえば、このMACという会社? に、私は手に入れそこねたバックナンバーを買いに行ったことがあるのを思い出しました。学生服(高校の制服)を着て、池袋の方だったと思いますが、新聞に記載された住所を訪ねて。 「キミみたいにバックナンバーを捜しに来るのは、たまにいるよ」とか何とか、対応してくれた人、もっともそこにはその人しかいませんでしたけど、どうもその人が松岡正剛だったんじゃないかな。 何だろう、あの頃の私はそうやって、どこにでも出かけて行ったりしていました。でも、いまみたいに街に高校生がいられるような場所って、そんなには無かったように思います。ただ、学校だけじゃない居場所がどこかにあるような気はしていて、奇妙なというか不審な行動をしていたような。後年、「アップルハウス」という、そんな学校をはみ出した連中が溜まっている場所も知ったりしますが、それはまた別の話。 「生徒手帳」に、喫茶店に入ってはいけないとかって、校則が記載されていたような時代の話です。 いまでも出ているのかどうか、当時は『高1コース』とか『高一時代』とかっていう学年誌が、それぞれ学研(学習研究社、現・Gakken)と旺文社から発行されていました。 『幼稚園』(それに先立つ『めばえ』とか『よいこ』というのもありましたけど)が小学館、『楽しい幼稚園』が講談社だっけかな。そして『小学1年生』からの学年誌がずっとあって、中学からはそれが学研と旺文社に引き継がれるという流れ。 そんな雑誌を読んでいたっていうことが、いまではちょっと簡単に説明できないような出来事ですが。 ま、それはさておき、私が高校1年のときの『高1コース』の投稿文芸欄の選者をしていたのが、寺山修司。 いや、私は投稿少年ではありませんでしたが、この文芸欄というのは、それはそれは面白いものでした。 要は、寺山節の全開です。『家出のすすめ』『書を捨てよ町へ出よう』という。ウブなこーこーせーを挑発した寺山のアジテーションは、いま比較してどうこう言えるようなモノがちょっと見当たらない。 ちょうど今年は、没後二十周年とかで、「PARCO」なんかで回顧的な企画が進行しているらしいけれど、当時の寺山の位置というのは、すでに見定めにくいでしょう。 この『高1コース』と『高3コース』での投稿詩を編纂した詩集が、68年に三一書房の「高校生新書」の一冊として出た『ハイティーン詩集』ですが、「天井桟敷」の第七回公演『書を捨てよ町へ出よう』はこの詩集の舞台化です。 実際にその詩を書いた高校生たちが舞台で朗読? をするという構成でしたが、やはり、いま流行の「ポエトリーリーディング」という詩の朗読とは比較できませんし、和製HIP HOP? の「ラップ」や「ライム」というのとも違う。 ちなみに、この舞台を演出したのが東由多加で、その手法は彼が後年結成した「東京キッドブラザース」に継承されますが、これもまた別の話。 また、寺山の監督した長編映画第一作の『書を捨てよ町へ出よう』は、舞台とは別物ですが、詩集に参加していた高校生たちのひとり、佐々木英明の主演。や、余談が過ぎていますね。 さて、高校生だった私は何も学年誌だけを読んでいたわけもなく、もちろん『平凡パンチ』や『プレイボーイ』(『F6セブン』という、もっとイケてるのもあったり、『ポケットパンチ Oh!』とか、やっぱりこれもまた別の話)もありましたが、面白かったのはふたつの手帖、『現代詩手帖』と『美術手帖』でした。 当時の『現代詩手帖』が「エロティシズム」「死」「暴力」「犯罪」「狂気」「ユーモア」「恐怖」「反言語」といった主題で特集を組んでいたこと。 一方の『美術手帖』では「インターメディア」「創造のための破壊」「もうひとつなにかある、サブカルチュアの状況」「芸術と暴力、芸術は無効か」「演劇のアヴァンギャルド」「肉体と情念」「これがなぜ芸術か」「そして、いま恍惚革命」「ROCK IS」「地下映画」「劇画」という特集。 いまではクサいスノビズムに堕したとも言われかねない、こうしたタイトルはいずれも、何というか、いわゆる日常性への否・非・反といった「ノン」の指向性を持っていて。 正しいとか間違ってるとか、カッコイイとかカッコワルイとかいうのも、もちろんあるにはあったけれど、何よりもまず、退屈? な日常を離脱したいというような。何もそれは、鬱屈? していた高校生に限らず。 それが、村松氏の言う、彼方や形而上への憧れにもつながっていたかもしれない。 むろん、いまではそれを手放しに礼賛するわけにもいかないという事情があるにはあって、ということも知っているわけですが。 ああ、この辺りは80年代ポップオカルトの顛末につながりますね。 でも、もうちょっと。 私は、つまるところ「現実」というものの変質にかかわると、ボンヤリ思ったりしています。 あらかじめ、「時代」や「世代」で語ることのバカバカしさは充分承知のうえで、なお。 とはいえ、失われた「何か」を云々したいわけじゃない。 ひとのいとなみは、いつだって泥をこねているようなもので、一面の泥土が(砂漠と言い替えてもいい土地もありますが)延々と広がっているばかりかもしれません。 けれど、時にその泥濘から、チカッチカッという光が放たれることがあったりするんですね。少なくとも、私はそういうものを感じたりします。 その、「彼方」からの光に、どうにかして光を返したい。 それが憧れってモンだったりするのですが。 とくに現実での利益なんかにならない、遥かないとなみ。 放たれた光は、星のように、すでに太古に失われた場所から届いたのかもしれません。 しかし、それは届く、届いた。 そもそも、その存在さえ疑わしいような、光。 しかし、それこそが希望であり、未来であるような。 そんな現在という不可思議を、単に現実と呼んでも、それは、どうなのかな。ちょっと考えてみます。 うーん、何が平和なのかは、よくわかりませんが、むかし話をしているからといって現在が見失われているわけではない、と。 ちなみに、『ロード・オブ・ザ・リング』は、私の好む映画でしたよ。 http:// www.madhack.com/ ~madhack/ frodo_has_failed.jpg 傑作とか駄作とか、私は興行評論家ではないので、即断することもない。駄作でも好ましい映画はたくさんあることですし。 |