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毎日新聞11月29日朝刊 今週の本棚 荒川洋治氏による「本の読み方(草森紳一著)」評より抜粋
本を読んで、いちどでもいい思いをした人は、同じ思いをもつ人の様子を知ることで自分の思いをたしかめたい気持ちがわきおこる。読む風景に敏感になるのもそのためだろう。読書のよろこびを知ると、周囲やこれまでの自分との距離を感じ、不安感、孤立感におそわれる例も多い。
マーサ・グライムズの探偵小説『桟橋で読書する女』。
ヒロインのモードが「ラモン・フェルナンデス、教えてくれ、もし知っていれば」という詩の一節をよみ、ラモン・フェルナンデスって「何者だろうって考えてしまう」とつぶやくと、友人の保安官サムは、来週図書館で調べてくるよと。彼女は答えを知りたいのではない。自分で考えたいのだ。本を読む人は自分で考えるという世界をもつ人なのだ。サムには、それがわからない。彼女はあきれて、本を閉じる。ぱたんと、本を閉じる。「ここには、乱暴なようで、本に対するいとおしさがある」。
毎日新聞12月1日夕刊 鷲尾賢也氏による「この1年 出版 ―雑誌休刊さらに 書籍部門 問われる編集者の力」より抜粋
来年の国民読書年を前に、今年もぱっとしなかった。
(中略)
とにかく返品がとまらない。
(中略)
広告収入が大幅にダウン。それにともない雑誌の休刊が相次いだ。
(中略)
「雑誌というのは、一人ではできませんからね。かなりの人数を必要とする。編集者を固定するビジネスなので、経営としては、展望が見えないと思ったらやめる他はありません」(相賀昌宏小学館社長)。
「依頼するところから、原稿を整理・構成するまで、その一連を学ぶ場所がなくなってくると、『一冊何か作れ』と言われても、なかなかできない。ますます編集者が劣化してくる」(山口昭男岩波書店社長)
これは「神保町が好きだ!」(第三号)というタウン誌での発言である。この二人の感想のあいだで、各社は苦悩を深めている。といって、雑誌すべてがインターネットに代替できるものではない。そこが悩ましい。
ただ、確実に活字の領域が狭まってきていることも動かし難い事実である。グーグルによるデジタル化した書籍の全文検索サービス、あるいはアマゾンから発売されたキンドル。(中略)
これらの日本語版の発売は必至であろう。ケータイなどへのコミック配信はすでに始まっているが、出版界はどう対応するのか。
そんな中、大日本印刷(DNP)を中心にした流通業界再編成の動きは、多くの出版人を驚かせた。(中略)巨大企業の戦略と出版流通がどういう関係にあるのか、いまひとつはっきりしないが、しばらくはDNPから目を離せない。
書籍部門にもそれほど明るい話はない。村上春樹『1Q84』(新潮社)のミリオンセラー、あるいは川上未映子『へヴン』(講談社)のベストセラーなど、一部に活気があったが、やはり全体的に暗い。新刊点数は増加しているが、売れ行きは前年を下回っている。
山崎豊子『沈まぬ太陽』(新潮文庫)、司馬遼太郎『坂の上の雲』(文春文庫)などが、書店に山積みされている。映画化やテレビでの連続放映のせいである。こういう機会に過去のベストセラーを手にとるのは悪いことではないが、一方で、新刊に力がない証しなのかもしれない。
「断る力」「悩む力」「見通す力」「目立つ力」など似たようなタイトルも目につく。また、一部の売れっ子のものだけが毎月のように刊行される。これでいいのだろうか。
かなりハードなものであるが、上下巻一〇〇〇ページを超える小熊英二『1968』(新曜社)は今年の収穫であろう。膨大な資料を渉猟し、一九六〇年代半ばからの学生反乱から連合赤軍、べ平連、ウーマンリブまで扱った現代史。多くの新聞書評に取り上げられた。一冊七〇〇〇円をこえるにもかかわらず、売れ行きもいいという。
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)も話題になった。近代の出発から太平洋戦争までの日本の選択について考えさせられた。高校での講義をもとにした形式にも工夫を感じさせた。
要するに、読み応えのある本をみんな待っているのだ。こういうときにこそ編集者の力量・見識・アイディアが試される。
頑張ってほしいものだ。
以上、読書と本について、目にとまった記事の紹介。
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