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▼村松恒平さん:
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こんにちは、いつもメルマガや「心が大事」のブログを読ませていただいています。私は絵を描いていますが、どちらかといえばモノを考えたり、思索したりすることの方が多い気がします。まぁそのことが私のこころのモチーフといえばカッコよすぎですかね。
さて、この「ネットと無料」の話は多くの問題が含まれています。生き方とか人生論や哲学まで、まだゆっくり考えてはいないのですが、とりあえず少し前にブログに書いたこととを載せます。的外れであれば笑ってください。
はる 3031
今たまたまテレビを観たら、クローズアップ現代で「たすけてと言えない30代」などというくらい話をやっていた。なんでも少し前は50代とか60代がリストラにあってホームレスになる場合が多かったんだけれど、最近は30代がけっこう多くなったそうだ。
まぁ彼らはやる気になれば肉体労働だって何だってやれるんだろうけれど、何というのか生活の質を落とせないとか「負け」を認めたくないとか、かわいそうだと思われたくないとか、こうなったのは自分のせい自己責任だからと考えてしまうから余計に人様に迷惑をかけられないと考えるらしい。だからいいかげんな奴はそうはならない、生活保護でもなんでも申請で来ちゃう人はいいのだな。それが出来ないから隠れてしまうのだ。何かのきっかけで出社拒否、そしてホームレスになってしまう。
構造的な問題もあるだろうな。仕事としてはほんの少しの頭脳労働者と多くの使い捨ての単純労働者がいればこと足りるという社会になってきたものね。だからそのトップ25%にはいるのに過当競争だな。ただし最近は裕福な家庭育ちでなければそんな学校にも入れないそうだから、ますます格差は広がる一方だろう。
コンピュータ社会になればなるほど仕事はマニュアル通りになるだろうし、スピードは求められるし、結果も求められる。
30年も前に何となく漠然と考えていたことが、どうやら本当らしくなってきて最近はまんざら間違っていたのじゃなかったのだなと思って来た。それは仕事についてなんだ。
今就活とかいって学生が仕事を求めて色んな面接を受けたりしている。新採用が一番買い手が多くてそれにもれると中途採用ということになって5円安になってしまう。だから職種を選ばないで何とか名のある企業へ就職したいというのは人情としてよく分かる。今も意識は我々の頃とさして変わらんだろうと思う。
私にはどうしてもやりたい仕事がなかった。皆が髪を切って嬉々として就職活動しているのをうらやましくもあり、何故何の抵抗もなく就職できるのか不思議でもあった。だから就職試験など一社もうけなかったし、面接にいったこともない。
どうしてもやりたい仕事がないなら手に職をつけることだと考えた。今でもそう思う。でとりあえず陶器の工房に弟子入りした事は書いたことがある。
しかし、その考え方は間違ってはいなかったとは思うのだが、世の中は職人を必要とする生活ではなくなった来たんだな。例えば着る物は海外で作った安いものででも充分に役に立つ。ミシンが上手に使えてもジーンズのすそ上げぐらいにしか使えない。食べるものもどこで作られたか分からんようなレトルトが普通の食卓にのる訳だし、外に行くけばファーストフードやコンビニのお弁当やファミレスのマニュアル通りのレシピがある。味覚はジャンクフードで鍛えられて本物の味がわからない。住もまたどこの国なのか分からないような住宅展示場のようなツバイフォの建物だらけだ。大工はホッチキスのような電動工具で留めてゆく。カンナがけ出来ても使うところがない。
今のままじゃ農業は勿論だめ、製造業も国内じゃ成り立たないだろう。何か特化したものなら別だけれど、それもやがては下から追いついて越されてしまうだろう。そうなるとはっきり言って今までのような普通の仕事がない。これからもっとそうなるかな。何の手も考えないとね。やがてはコンビニとファミレスとネットショップだけになるだろう。
ある種の「ルネサンス」のような文化運動が必要じゃないかな。小さい世界、コミュニティを大事にしてその中で実際に手を使って作り出した衣食住の物を大切に使かうという生活、哲学、コンセプト。「お金」に頼らない生活、そういう価値観で計らない生活といのか、そうやって少しずつ「仕事」をもう一度自分達の手に戻す必要があるのじゃないかな。
老子の話に「小国寡民」という理想郷が描かれています。人口が少なくなることはわるいことではない、国が小さいことは悪いことではない。以下口語訳です。
「国は小さく住民は少ない(としよう)。軍隊に要する道具はあったとしても使わせないようにし、人民に命をだいじにさせ、遠くへ移住することがないようにさせるならば、船や車はあったところで、それに乗るまでもなく、甲や武器があったところで、それらを並べて見せる機会もない。もう一度、人びとが結んだ縄を(契約に)用いる(太古の)世と(同じく)し、かれらの(まずい)食物をうまいと思わせ、(そまつな)衣服を心地よく感じさせ、(せまい)すまいにおちつかせ、(素朴な)習慣(の生活)を楽しくすごすようにさせる。(そうなれば)隣の国はすぐ見えるところにあって、鶏や犬の鳴く声が聞こえるほどであっても、人民は老いて死ぬまで、(他国の人と)たがいに行き来することもないであろう」
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ではまた。
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